こんにちは、なちょ(@tasogarenai)です。
今回はゲーム雑学に関する記事になります。
ゲームの世界には驚くべきトリビアがたくさんあります。この記事では、マリオやゲームボーイにまつわる驚きの雑学を5つ紹介します。
これらのトリビアを通じて、ゲームの歴史と魅力を再発見しましょう。
マリオの初登場
マリオの初登場秘話
任天堂の象徴とも言えるキャラクター、マリオ。
マリオが初めて登場したのは1981年のアーケードゲーム『ドンキーコング』です。当初は「ジャンプマン」と呼ばれていましたが、後に「マリオ」という名前になりました。
この名前の由来には、任天堂のアメリカオフィスの大家さんであるマリオ・セガールさんの存在が関わっています。
マリオの改名
「ジャンプマン」はその後、上記により任天堂のアメリカ支社の倉庫を貸していた大家さんの名前にちなみ、「マリオ」と改名されました。
マリオはその後も数々のゲームに登場し、最も有名なキャラクターの一つとなりました。
彼の人気は今も衰えず、新作ゲームが発売されるたびに大きな話題となります。
マリオの職業遍歴
多才なキャラクター
マリオは配管工として広く知られていますが、実は彼は実に多才なキャラクターです。
彼は「Dr. Mario」では医者、「マリオカート」シリーズではレーシングドライバー、「ドンキーコング」では建設作業員として登場します。
このように、さまざまな職業をこなすマリオの多才さは、彼が長年にわたり多くのゲームで活躍してきた理由の一つと言えるでしょう。
その他の職業
さらに、マリオは「マリオパーティ」シリーズではゲームショーの司会者、「ペーパーマリオ」では冒険家としても登場します。
このように多岐にわたる職業を経験しているキャラクターは、他に類を見ないと言えます。
湾岸戦争を生き延びたゲームボーイ
耐久性の象徴
任天堂の携帯型ゲーム機、ゲームボーイは、その頑丈さでも有名です。
湾岸戦争中、アメリカ軍兵士に提供されていたゲームボーイが、空爆で破壊された兵舎から発見されました。
驚くべきことに、このゲームボーイは焼け焦げていたにもかかわらず、正常に動作していました。
ゲームボーイの耐久性は、このエピソードを通じて広く知られることとなりました。
現在の展示場所
この歴史的なゲームボーイは、現在ニューヨークの「Nintendo World Store」に展示されています。
展示されているゲームボーイは、訪れるゲーマーたちにとって、
ゲーム機の耐久性とその歴史的背景を感じさせる重要なアイテムとなっています。
ファミコンの配色の理由
デザインの裏話
日本で1983年に発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン)は、その独特な白とあずき色のデザインで知られています。
この配色の理由は、当時最も安価なプラスチックの色だったからです。
任天堂はコスト削減のためにこれらの色を選びましたが、結果的にこの配色がファミコンの特徴的なデザインとなり、多くのゲーマーに愛されることとなりました。
結果的な成功
この色の選択は、コスト削減という目的を果たしつつ、ファミコンのアイコニックなデザインとして成功を収めました。
現在でも、ファミコンのデザインはレトロゲームの象徴として親しまれています。
HQ Triviaの人気
ライブトリビアゲームの台頭
2017年にリリースされたライブトリビアゲームアプリ「HQ Trivia」は、瞬く間に世界中で大人気となりました。
プレイヤーはライブで出題される12問の質問に答え、全問正解すると賞金を獲得できます。
賞金額は5000ドルから10万ドルに達し、特別なゲームナイトにはさらに高額な賞金が提供されることもあります。
プレイヤーの熱狂
HQ Triviaは毎回数百万人が参加するほどの人気を博し、トリビアゲームの新たなブームを巻き起こしました。
ライブでの緊張感とリアルタイムでの参加感は、多くのプレイヤーを魅了し続けています。
ゲーム雑学 終わりに
ゲームの歴史やエピソードには、驚きと興奮が詰まっています。
マリオの誕生秘話から、戦場でのゲームボーイの耐久性、ファミコンのデザインの裏話、マリオの多彩な職業遍歴、そしてライブトリビアゲームの人気まで、これらの雑学はゲーマーにとって興味深いだけでなく、ゲームに対する新たな視点を提供してくれます。
これからも、ゲームの世界にはまだまだ面白い雑学がたくさんありますので、皆さんもぜひ探求してみてください!
では、今回はここまでです。
目を通して頂き、ありがとうございました。
コメント